私が開院した理由

南山本小学校時代

2年生から剣道を始めました。
学校内では無敵でしたが八尾市の大会では
3〜4回しか勝っていません。

母の勧めもあって水泳、テニス、スキー、ソフトボール色々やりました。身体を動かすのが好きな事もあってこの頃にスポーツが楽しいものだと初めて知りました。

曙川中学校時代

何かしないといけないという
思いだけで友達が入った水泳部に
入部。幽霊部員。

3者懇談では「今からすぐ行けっ!」と
担任の先生に叱られてました。

阪南大学高等学校時代

軟式テニス部に所属。一生懸命でしたがヘタでした。ペアの同級生の足を引っ張り、試合では1度も勝てませんでした。自分でもよく続いていたと思います。練習や合宿で顧問の先生や先輩のマッサージを担当してました。
学級委員長もやりました。

阪南大学時代

体育会アメリカンフットボール部に所属。
高校時代からよくケガをしました。筋力測定会が年に2、3回あったんですがケガでベストが出せず歯がゆかったです。

この頃から人のカラダに興味をもちはじめました。

4年時には副キャプテンとして本気で3部リーグから2部リーグへの昇格を考えてました。毎日アメフト漬けでした。昇格はならずとても悔しかったです。当時の監督からは「変わった奴やった。」と言われました。

鍼灸専門学校と柔道整復師学校時代

叔父がされている鍼灸接骨院で働かして頂いてました。

昼休みに学校に通いその他は接骨院で勤務し休みの日には母校でスポーツトレーナーをやらして頂きました。

現場と学校の勉強を同時に出来たのでとても良い経験になりました。この頃に私の治療家としての背骨ができました。

腰痛がとれない。

20代の半ば数年は毎年、ギックリ腰になり
元々腰痛も強い方でこの時から自分のカラダにも意識が向きました。
改めて筋肉や関節、神経などのことや生活習慣の大切さを痛感し独自に治療の勉強を始めました。

人を診たい!

開院当初は症状を取ることばかりを考えていました。

「症状がなくなればそれでいい。自分は正しい!」と思い込んで自分の思いを患者さんにぶつけることしかできませんでした。

けれど、症状は良くなるけれどまた辛い顔をして来院される方ばかり。

いろいろな経験を積む中で「症状」だけを診て、患者さんお一人お一人を診て、患者さんご自身のお話しを伺っていない事に気づきました。ここから仕事や治療以外の知識や経験、コミュケーションや人との繋がりを大切に活かして自分を高めようという風に意識が変わりました。

変わらぬ思いで

お陰さまで現在は患者さまの笑顔を
たくさん見ることができています。

お一人お一人が健康になり更に健康を維持向上していただけるようサポートする。またその周囲の方々にも健康になっていただけるようにと毎日診療に当たっています。

長文をお読みいただき
ありがとうございます。

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